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偶作(ぐうさく)-戦国期-

僧に名を問われた意味は…

偶作


『川中島百勇将戦之内』「明将 武田晴信入道信玄」

『川中島百勇将戦之内』「明将 武田晴信入道信玄」

川中島の戦い

川中島の戦い



作者の武田信玄(1521〜1573)は、甲斐武田家十九代当主。天文二十二年(1553年)から永禄七年(1564年)まで、上杉謙信と五回にわたり川中島で戦ったことで有名な戦国時代の武将です。信玄は「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり」という言葉を残しています。信頼のできる人は城に匹敵するという意味です。

この漢詩は信玄が30歳代の頃に詠んだものと言われています。

ある日、ひとりの僧侶が自分の名を尋ねてきました。数々の戦功を挙げ、このあたりの山川まで治める自分に対して名を尋ねてきたことに、信玄は腹を立ててしまいます。しかし、よくよく考えてみると、僧侶はそんな信玄を諫めようと、敢えて名前を聞いたのかもしれません。信玄は、このエピソードを漢詩に残すことで、自戒しようとしたのです。

振付例としては、前半で若く血気溢れる信玄の勇猛ぶりを刀で大いに表現します。途中、僧侶に人代わりし、そんな信玄に名を尋ね、信玄の怒りに触れる様子を演じます。最後は、再び人代わりして信玄となった演者が、僧侶の諭しに気づき反省する様子を演じます。

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